それなりの雑記コラム

若いなりに思ったことを書くコラムです。

コラム #5 「質問」

70日ぶりの更新である。なかなか更新する時間もなく、長々書くネタもあまりない。できた時に限ってTwitterで言っちゃうから、そのたびにブログにしとけばよかったなあと後悔している。(笑)

さて、最近僕は「質問」をいつもしている。

先日、マーク模試も終わり、それなりに点が向上していた。しかしながらまだ伸ばせる余地はある。そこで、現役時代の反省を踏まえ、入念に復習に取り掛かっている。

日々の学習の中でも、試験の復習でも、分からない問題は必ずある(だから間違えるのだ)。そういうことなので、念入りに解説を読み、その肝心なところをノートにも書くのだが、考えてもわからないor納得できない問題というのは必ず出てくるものなのだ。

そういうことが起こるたびに、僕は予備校の職員室に駆け込み、質問をし、丁寧に指導していただいている。

よく考えてみたら、質問って特殊な行為だなあと思うのだ。なんせ、質問する動物って、人間だけじゃないのか?サルも狐も質問しない。

論理的に考えるというすべを身に着けた人間の特権ともいえる行為ではないか、と、ここ最近「質問」をマシンガンのようにする自分は思う。

生身の人間だからいいのか。そうではない。集団授業だって生身の人間が教えるはずだ。だが、授業である以上、進行方向や時間枠などの厳しい制限がある。生徒ばかりを思って授業していられない事情もあるのだろう。

そう考えると、質問は、無制限で完全に先生を独り占めできるうえ、分かるまでしっかりやっていただける。先生は質問してきた生徒のことのみを考えるので、自ずとその指導は満ち満ちていく。これはしないと損だろう。

ところで、多くの生徒にとっては、質問とは実に勇気のいる行動だという。気持ちはわかる。かくいう自分もそうだった。だけどこうして質問を繰り返していくと、そのような恐怖心は全く杞憂であった。

なぜならば人を教えたくてその職に就いた「教員」が、人を教えるのをめんどくさがるわけがないからだ。むしろ質問されると喜んでしまう生き物なのだろう(もちろん、質問の出る授業は自分の指導がダメだからと反省する先生もいるが、それを理由に質問対応をおざなりにする先生は全くいないし、むしろそういう人ほど対応は丁寧)。

授業料はみな平等に払っている。しかし、質問をすることで追加料金は取られない。予備校を徹底的に活用、利用するにはどうすればいいか、その一番簡単な答えが「質問」なのだと気づいた。もちろん質問する必要がないくらいに学力はつけるべきだし、質問前の「考える癖」はつけなくてはならないだろう。しかし、それで自分をごまかす必要もないのだ。恥ずかしくないんだからどんどん聞きに行けばいいと思っている。それは、教師に「自分はこんな生徒です」と伝える好機にもなり、より自分に合った指導をしてもらえるだろう。

浪人してみて、「質問」のありがたみをよくわかった。これからも謙虚に頑張っていく。