それなりの雑記コラム

若いなりに思ったことを書くコラムです。

コラム #2 「現実主義者?は毒舌でありたい」

たまに言われることとして、「君はかなりの現実主義者だね」というのがある。それまでこの言葉を意識したことはあんまりなかっただけに、なるほどなるほどと思った。

「いいじゃん!くよくよしないで行こうぜ!」マイルドに言えばそうなる。だが、如何せん僕はどうも口が悪いのだ。実際には、「グチグチ文句言えるなんて、余裕のある人生でうらやましいわ!」「自ら非生産的なことして、何したいの!?」っていう、随分辛辣な言葉しか出ないのが残念である。

「辛辣」といえば、自分自身、辛辣な考えだなあ、うわー残酷!と言われてしまったエピソードがある。実は、僕はスポ根ものが大変嫌いであり、夏によくある、甲子園のドキュメンタリーはまず見ない。大体において日本人は、勝っても負けてもなくではないか。あれに妙な悪寒を覚えるのだ。勝つのはまだしも、負けて泣く人間の気が知れぬのだ。自分の実力不足で負けておいて…。と思ってしまう質なのだが、これを言った時、あんたにゃ人の心ってのがないんだねえと言われてしまった。そうだよなあ…。

「近所の遊園地でできることを、なぜわざわざ千葉やら大阪やらの馬鹿でかい遊園地で散々待たされた挙句くたびれてまで遊ばねばならんのか」と平気で口走る人間でもある。こういう人間もそうはおるまい。

さて、ここまでケタクソに言っておいて、その後悶々と悩む自分がいる。別にそういう辛口をウリにしたいというわけでもないし、かといって考えを変えていくこともない。そこで思ったのが「毒舌」というありかただった。

意味が違うのか、と思われるかもしれないが、TBSの名物ラジオDJであった小沢昭一は「えぐったあとに笑いがくるのが毒舌。えぐるだけじゃあ駄目」と発言している。まさにその通りなのだ。僕のその「現実主義的」らしい考えは、しゃべることによって随分後味を悪くしている。なんだったら、そのあとに笑ってもらえるような、毒の利いたことが言いたいものだ。まさしく、毒蝮三太夫トークとか、プレバトの夏井いつき先生の指導とか、あれが体現できている。元を言えば川柳文学も、日本人の「タフな心」「硬質な心」を笑いに変えている文学じゃないか。ああいうのを目指したい。

現実主義者と毒舌。それは両立できるのか。毒舌だったらウリにもできると思うのだが…。「辛辣人生相談」よりも「毒舌人生相談」のほうがいいと思っている。結構難しいだろうけどねえ…。話のプロってさすがだね。