それなりの雑記コラム

若いなりに思ったことを書くコラムです。

#7 先輩・後輩の話

 思えば僕の人生というのは、素晴らしい先輩と頼れる後輩のおかげで素晴らしいものになっていったというのが数多くある。同級生からはあまり人気のなかった僕が、なぜだか人脈に関して自信があるのはそれゆえなのかもしれない。同級生という近しい存在ではなくて、上級生と下級生とよい関係を築くほうが得意な僕。そんな自分が大学に入って、いろいろ楽しいことになっているので、書き綴ってみたい。

 大学に入って一番最初に上下関係的なものがあるところに入ったのが学生寮入寮の時である。といっても昔のキツイ縦社会を連想するようなものではない。和気藹々とした、非常に風通しのいい場所だ。それでも最低限の上下関係は重んずる程度である。

 間もなくして新入生の歓迎コンパが行われたとき、学部が唯一同じである3年生の先輩とお話しすることができた。しかも僕がやがて専攻しようと思っている歴史学専攻の人であった。久々に深く歴史の話をすることができてうれしかったと同時に、先輩の歴史学に対する熱い思いに心惹かれたのである。

 

 まさかこの時、こんなにも今後お世話になる先輩だとは思ってもいなかったのだが。

 

 やがて部活動やサークルを決める時期に差し掛かった。大学に入ったからには、これまでにやったことのないようなものにどんどん挑戦したいという気持ちが大いにあった。自分の本当にやりたいことって何なのかなと思いながらいたのだが、母親や伯父がかつてやっていた弓道に僕は目を向けた。母からも弓道の話は折に触れ聞いていたし、ラブライブ園田海未に憧れて弓道を始めた旧友がいるということも頭をよぎった。そんな興味で僕は、弓道部に入部したのである。

 

 そしてこともあろうに、この弓道部の主将は、件の先輩だったのだ。

 

 僕は寮でもいつものように変わった人間のままでいたため、あの時のコンパではもう件の先輩はビックリ仰天してしまっていた。そんな奇人変人という語が似つかわしいぼくが、まさか弓道部を選ぶなんて、先輩にとっては腰が抜けるほどの驚きだったに違いない。

 というか実際そうだったのである。先輩は僕が入部したことを寮のLINEグループで流した。それくらいの衝撃だったのであろう。道理で入部した日の次の朝、色んな先輩に「お前弓道部に入ったんだって!?頑張れよ~!」って言われたんだな。

 

 これだけ先輩は一見僕を邪険に扱っているように見えたものの、実際のところは、しょっちゅう僕の練習を見てくださり、じっくりアドバイスをくださった。1年生は普通、2年生による指導のもと部活をするのだけど、先輩は僕のもとにわざわざ立ち寄ってくださって、いろいろ指導してくださるのだ。

 そんなある日のことである。「お前さ、明後日あたりの夜時間あるか?」

 ありますけど、どうかなさいましたか?と僕は聞いた。

 「お前とじっくり話したい。飯でも行こう。」

 いいんですか?!と思わず言う僕。この先輩とは、寮の歓迎会で2回、学部の歓迎会で1回、部活の新入生コンパで1回と、計4回もご一緒している。4回目にあたる部活の歓迎会では、もういい加減にしてくれ~!といった感じでうんざりしていたように見えた先輩が、事もあろうにこの僕を食事に誘ったのだ。

 「毒を食らわば皿まで。5回目は俺直々に歓迎したいんだ。」

 なんだかビックリしてしまった。こんな光栄なことがあるんだろうか。もうすでにいろいろ迷惑をおかけしている先輩が、部活の主将ともなる先輩が、それでいてこの僕にすごくよくして頂いている先輩が、こんな場を用意してくださったなんて。

 

 じゃあこの日にね、といわれた夜のこと。夕方6時に部活を終え、いつものように寮の自室に戻っていった。先輩と大事な時を過ごせるんだ!とおもうと、余計に練習に力が入ったし、何人かの寮の同級生や部活の同期にはこの話をしていた。お前ほんとすごい幸せもんだなあ、といわれた。そりゃそうだ。

 

 約束の夜8時半。部屋のドアを叩く音が。先輩だ。

 「さあ、行こうか。どんなのがいい?」

 僕は先輩のおすすめするラーメン屋さんに連れていかれた。道中、店内、帰り道、いろんな話をした。

 何でも話せる人なのである。専攻の歴史のこと。学部での履修のこと。これからの部活のこと。弓道の作法のこと。大学生活のこれからのこと。文武両道とはよく言うが、その文武どちらも道を同じくする先輩の言うことは、大いに自分にとって参考になることだし、自分自身のあこがれの先輩の姿を追いかける指針にもなった。

 

 好きな道ならとことん追いかければいい。大学というのはそれができるところ。

 自分の得手不得手はしっかり分かっておけ。それが将来の自分のためになる。

 大学生という時期にしかできないことはたくさんある。どれだけでもやれ。

 人間の成長というのは坂道一辺倒ではない。階段のようなもの。どこを踏み台にして、そして着実に登っていくかが大事。

 

 一回の先輩飯。時間にすれば短い。でも、自分にとって、どんな時間よりも実のある時間になった。

 

 あとから2年生の先輩が…

 「ご飯おごっていただいたんだって?うらやましいなあ。先輩本当にうれしそうだったんだよ。やっとあいつと飯食えるって」

 そしてそれからというもの、先輩は相変わらず、僕によく指導してくださる。学業も部活も精いっぱい頑張ることで、初めて先輩の背中を追いかけたことになると僕は思っている。きっと大きな期待をかけていただいているに違いない。ここから、さらに頑張っていこう。そう僕は決意を改めた。

#6 WHAT IS RADIO? -深夜ラジオとニコニコと人と-

 0 はじめに

最近になって僕がTwitterのプロフィールに名乗りはじめた「あなたの街のラジオリスナー」まあ、作った自分でもよくわからぬ表現ではあるのだが、多くの皆さんがご存知の通り、僕はラジオが好きである。

そんな僕のラジオ好きのきっかけというと、自分でもよくわからないくらいに諸説あるのだが、決定打となったのは、あのかつてJFNでやっていた深夜番組である。

残念ながら、僕はこの番組にいい印象はない。というか、ある時点で捨て去ってしまった。今日は、そんな番組と僕を巡るあれこれを雑記していきたいと思う。

なお、そういう思いであるために、本文中では番組の名前はあげたくない。それはこの番組のことをいまだに好きな人がいるということと、僕自身がこの番組名を挙げる気になれないからだ。一応、WikipediaのURLはつけておくことにする。

https://ja.wikipedia.org/wiki/Wktk%E3%81%AE%E6%9E%A0

 

1 この番組との出会い

まだ僕がなんのサブカルチャーにもはまっていないころに、とある友人に「こんなのあるんだけど」と誘われて聞き始めたのがすべての始まりである。当時僕は石川県に住んでいて、FM石川はフルネット局であった。

一度聞いてみたら、なんというか、本当にこんなに面白い空間があるんだなあと思った。メールで、いわばリスナーの生の思いを放送に載せてもらえるという、今のメディアではなかなかない、その良さに触れたのだ。

 

2 番組全盛期

ア:番組として

間もないうちに僕はこの番組での「常連」つまり大量採用者になった。

この、常連になるというのは、今にして思うと、番組とリスナーの相互信頼関係によるものであると考えている。

まず、番組側が、電波を通じて面白い楽しみを提供し続けなくてはならない。そうしていわゆるネタ職人や常連が、メールをこれからも送り続けようという気になるのだ。オワコンに送ろうだなんて思うまい。

そして番組も、この人なら面白いメール、良質なお便りを送ることができる人と認知できる。そして、初めて聞いた人であっても迎え入れられるという懐の広さもラジオの場合は持ち合わせているのだ。

あの番組は、その辺がしっかりできていた。生放送の醍醐味をよく理解できていた。当日企画にしてもゲストがいようがいまいが、誰もが楽しめる構成になっていたし、「恒例になっている当日企画」を用意しているのもよかった。コーナーものにしても、いつ何をやっても安定した面白さが供給できていた。ネタ番組としては申し分ない構成だったといえよう。

イ:人のつながりとして

リアルタイムで参加できるラジオと、その場で思ったことをつぶやけるTwitterとの親和性は非常に高いと思う。この番組を通じて、僕自身、色んな人とつながることができた。中には僕と年の変わらない人も多い。そういうことができたのは、ひとえに若者がよく使うインターネット動画サーヴィス、ニコニコ動画ニコニコ生放送との双方向生放送を実施したのが大きい。テレビの覇権が強い今、時代に取り残されたと思われそうなラジオに、若年層を取り込むには申し分ない仕組みだったと思う。そういうことをしていると、Twitterで沢山のフォロワーさんとつながれた。今でも親交のある方は非常に多い。

 

3 番組の転換期

ある時期に、この番組のメインパーソナリティーの一人が、年末をもって旅立つといった。事実上の降板である。この知らせは私たちリスナーにものすごい衝撃を与えた。大黒柱が消えるというのを、習慣、いつもそこにあるものが消えるということを受け入れられるのに時間がかかった。

しかし、もう一人のお馴染みの方は残っている。その人一人でどう動くのか。どう変わっていくのか、僕は注視していた。

 

結論から言おう。

 

劣化した。

 

テコ入れ策としてこの番組が導入したのが「準レギュラー制度」である。主にミュージシャンを招き、準レギュラーと呼ばれる人を3枠設け、その人が大体週替わりで来て番組を進めてくれる。

ただ、この制度の未熟な点は、その準レギュラーの色によって、番組の雰囲気が過剰に左右されることである。準レギュラーの色で番組の根幹まで染められてしまうのだ。大体、この準レギュラーの人の本業はラジオDJではない。ミュージシャンだ。だからどうしてもそっちの方向で話をせねばならない。

そう、必然的に宣伝が増えてしまう。

ネタ番組アイデンティティがかなり揺らいでしまったのだ。

当然のことながら、その準レギュラーのファンがリスナーになる。それは受け入れなくてはならない。しかしこの番組の行けない点は、かつてのその常連と呼ばれたリスナーを切り捨てたも同然の態度に出てしまったことである。そのファンをどうしても優遇してしまい、今までいた場所は狭まる一方だ。

結局、当初の「ネタ番組」の要素は薄まってしまった。

 

4 人とのつながり

実はこれが、僕がこの番組をやめるきっかけといっても過言ではない。実は、僕はこのラジオ番組の、最後まで残ったメインパーソナリティーのほうをいまだに心のどこかで許していない。

少しこの番組に思うことがあって、それらしきことをツイートした。あの頃はまだ未熟で、少し乱暴な言い方になり、そこは大人として諫めてくれたのだ。それはいいのだが…。

「嫌なら聴くな」

これで僕は聞くことを、仰せの通りやめた。というか、失望した。

嫌なら見るな、これは不変の真理といってもいい。しかしこれは見る側の態度ではないか。なぜ、作る側がそれを言う。まかり間違っても、それはクリエイトする側の発言ではない。そういう人をも取り込むのが仕事ではないのか。その人を選ぶ考え方に幻滅したのだ。

しばらくは様子見で聞いていたが、6月辺りで僕は、聴くのをやめた。ほかの常連リスナーさんの中には僕よりも早く見切りをつけていた人さえいた。

そうしているうちにリニューアルから9ヶ月。この番組は秋改編に飲まれた。消えてなくなった。

そしてそれを機に、縁を断ち切ってきたフォロワーさんもいたことに若干落胆した。

 

5 番組継続のために

今に至るまでラジオを聞いていてわかることがある。番組継続をしていくためには、大別して二種類の手法があるのだ。

① これまでの路線を固持し、究極のマンネリを生み出す。

② 古参リスナーを切り捨てることも辞さず、改革して新しい風を吹き込ませる。

このやり方に正解も不正解もない。どちらの手を取るにしろ、成功するものもあれば失敗するものもある。

例の番組は後者を取った。その結果失敗してしまったのだ。②の方法を取るならば、徹底した改革が必要なのだが、それができていなかったとしか思えない。

これに相通じるツイートを引用しよう。

 例の番組は、新しい層を取り入れようと頑張った点は評価できるが、その新しい層が「流動的」であるのが大きな痛手である。これが先述した「準レギュラー」の大きな欠陥である。結局新しいファン層の興味というのは準レギュラーの存在から外に出ることはなかったのだ。

そして番組そのものもこの準レギュラーの存在に依拠しすぎ、肝心かなめの、これまで番組が培ってきたアイデンティティをないがしろにしてしまった点も否めないのだ。

ファン層が流動的なのはかなり問題である。固定ファンを生み出す可能性が非常に低いのだ。もしその行為が意図的ならば、固定リスナーをなぜ残す方向に働き掛けないのか。

 

6 ラジオの未来

あのラジオ番組は、頽廃しつつあるラジオの世界に一石を投げかけた。そして大きく発展し、これからのラジオを作る資質があるポテンシャルがあったと思う。しかしそれを無駄にしてしまった点が大いにあるのではないか。

いま、ももクロがテーマソングを担当する「ラジスマ」のキャンペーン。内容は下記リンクを見てもらうことにするが、

https://radisma.com/

最大の問題は、FMラジオ電波を拾えるスマートフォンが少ないことである。それで大々的に宣伝するのに効果はあるのだろうか。

ラジオを聞き始めるとしばしば緊張するのは、改編時期だ。ラジオは日々の生活に溶け込んだメディアである。その習慣が変わるとつらい。それをラジオ局は分かっているのだろうか。

若年層を取り込もうとしているのだろうか。

リスナーを大事にしているのだろうか。

ラジオに関して本当に思うことが、作り手は分かっているのだろうか。

そうでないと、ラジオは遅かれ早かれ過去の遺物となってしまいかねない。

人と人とがより密接につながりあえ、そして万人を受け入れる器を持っているのがラジオなのだ。それを分からないといけない。

 

7 最後に

この駄文を最後まで読んでくださりありがとうございました。あの番組でつながれた人とのかかわりがいまだに続いていて、うれしいです。

その一方で、別れられた人、行方が分からない人、また会いたい人、色々います。

いつか、みんなでこの番組を語れる時が来るのかなあ。

 

あんなにメールを送っていた僕が、番組名すら出したくないその気持ち、なんとなくわかっていただけたら嬉しいです。

 

ざっくりいうなら、愛ゆえです。

https://twitter.com/roy_twi/status/993062470171279360

https://twitter.com/roy_twi/status/993062470171279360https://twitter.com/roy_twi/status/993062470171279360https://twitter.com/roy_twi/status/993062470171279360https://twitter.com/roy_twi/status/993062470171279360https://twitter.com/roy_twi/status/993062470171279360https://twitter.com/roy_twi/status/993062470171279360

コラム #5 「質問」

70日ぶりの更新である。なかなか更新する時間もなく、長々書くネタもあまりない。できた時に限ってTwitterで言っちゃうから、そのたびにブログにしとけばよかったなあと後悔している。(笑)

さて、最近僕は「質問」をいつもしている。

先日、マーク模試も終わり、それなりに点が向上していた。しかしながらまだ伸ばせる余地はある。そこで、現役時代の反省を踏まえ、入念に復習に取り掛かっている。

日々の学習の中でも、試験の復習でも、分からない問題は必ずある(だから間違えるのだ)。そういうことなので、念入りに解説を読み、その肝心なところをノートにも書くのだが、考えてもわからないor納得できない問題というのは必ず出てくるものなのだ。

そういうことが起こるたびに、僕は予備校の職員室に駆け込み、質問をし、丁寧に指導していただいている。

よく考えてみたら、質問って特殊な行為だなあと思うのだ。なんせ、質問する動物って、人間だけじゃないのか?サルも狐も質問しない。

論理的に考えるというすべを身に着けた人間の特権ともいえる行為ではないか、と、ここ最近「質問」をマシンガンのようにする自分は思う。

生身の人間だからいいのか。そうではない。集団授業だって生身の人間が教えるはずだ。だが、授業である以上、進行方向や時間枠などの厳しい制限がある。生徒ばかりを思って授業していられない事情もあるのだろう。

そう考えると、質問は、無制限で完全に先生を独り占めできるうえ、分かるまでしっかりやっていただける。先生は質問してきた生徒のことのみを考えるので、自ずとその指導は満ち満ちていく。これはしないと損だろう。

ところで、多くの生徒にとっては、質問とは実に勇気のいる行動だという。気持ちはわかる。かくいう自分もそうだった。だけどこうして質問を繰り返していくと、そのような恐怖心は全く杞憂であった。

なぜならば人を教えたくてその職に就いた「教員」が、人を教えるのをめんどくさがるわけがないからだ。むしろ質問されると喜んでしまう生き物なのだろう(もちろん、質問の出る授業は自分の指導がダメだからと反省する先生もいるが、それを理由に質問対応をおざなりにする先生は全くいないし、むしろそういう人ほど対応は丁寧)。

授業料はみな平等に払っている。しかし、質問をすることで追加料金は取られない。予備校を徹底的に活用、利用するにはどうすればいいか、その一番簡単な答えが「質問」なのだと気づいた。もちろん質問する必要がないくらいに学力はつけるべきだし、質問前の「考える癖」はつけなくてはならないだろう。しかし、それで自分をごまかす必要もないのだ。恥ずかしくないんだからどんどん聞きに行けばいいと思っている。それは、教師に「自分はこんな生徒です」と伝える好機にもなり、より自分に合った指導をしてもらえるだろう。

浪人してみて、「質問」のありがたみをよくわかった。これからも謙虚に頑張っていく。

コラム #4 「言葉」

お久しぶりの更新である。

 

先日、僕の浪人が確定し、もう1年踏ん張り高みを目指す、そういうことに相成った。ある程度覚悟は出来ていたから、さして落ち込みすぎることもなかったのだが、久々の挫折を味わった。

何れにしても情けない結果である。僕は皆様に報告させていただいた。

その時にリプライを下さったM女史(Aの方がいいのかな?)の言葉に、不覚にも涙した。

世の中には、自分のことをこれだけ心配してくださっている人がいて、自分はそれほど心配をかけていて、今年もかけさせるのに、またそんな人間を応援してくれることに・・・。そしてその言葉の一つ一つがいちいち心に染みた。

 

もちろん1度1度の受験に挑む人間は真剣そのものだ。しかしながら、周りは得てしてそれをエンターテインメントか何かと捉えがちである。だからこそ、結果も知りもしないのに「おめでとうございます」だの抜かせるわけだ。なぜなら、その人らにとっては受験なんて他人事に過ぎないからだ。しかし、これらは受験生を傷つける。

 

さて、僕はこの1年、どのような生き方をすべきか。大まかにいえば「浪人してよかった」と、そう笑って一年後を迎えたいと願ってやまない。

 

 

 

 

 

 

励ましてくださった皆さん、いつも応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。みなさんの言葉、しっかり受け止めています。今年、不甲斐ない結果を手にし、非常に僕もつらかったです。それでも皆さんの言葉はあたたかいものでした。心から感謝するともに、また飽くなき努力を惜しまぬことを誓います。一年後、必ず吉報を届けるべく、そして自分自身の夢を叶えるべく頑張ります。また、応援よろしくお願い申し上げます。

コラム #3 「グローバル化という言葉に思う」

先日、「高等学校教育で日本史が必修でないってどうなの?」とつぶやいた。もうちょっと考えが深まっているのでつぶやこうと思ったら、とても140文字で収まる内容ではなかったので、こんな時こそBlog。というわけで、かなり社会的な内容であるし、長いが、まあ、スナック感覚で読んでほしい。

では本題へ。

現在の日本の高等学校の指導要領では、社会科に関していえば、世界史が必修であり、日本史、地理は選択履修となっている。また、これで受験ということを考えれば、特に理系の生徒は、コスパ的な面もあるのであろう、多くの人が「地理」でセンター試験を受けていくことになる。

何か恐ろしいと思わないであろうか?現行の教育課程では、日本史を履修せず卒業できるのだ。この国は、自国の歴史が選択制であるのだ。何か身震いしてしまったのは、僕だけであろうか?

僕は昔から、これが疑問だった。いま、僕は日本史で生計を立てようと考えている。その決心がついたころから、さらに不思議に思うようになったのだ。

実際、欧米人の方に言わせれば、大変珍しい話なようである。自国の歴史をろくに知らない人間、それは自国のアイデンティティが欠落している人間と捉えられて仕方ないのだという。そりゃあ、そうだろう。

今、グローバル化、世界に飛び出せ、国際化だ、と頻りに叫ばれているのは論を俟たない。日本だって例外ではない。それなのに、そういう体制でいいのであろうか?

今でこそ、日本の歴史は僕は大体は頭に入っている。しかしそれは、大学受験でそれなりに点を稼げるレベルでしかない。つまり、基礎の基礎しかないわけだ。それすらないのだと…。そう。僕もない時があった。その時、「日本ってどういう国ですか?」「どういうことをしてきましたか?」「どんな誇りがありますか?」と聞かれて、かつては全く答えられなかったのだ!日本人としてのアイデンティティがまったくもって欠落している状態だったといえよう。

今は、ある程度は言える。それについての言及は、今は差し控えよう。なぜなら、それを深めてから、しっかり申し上げたいからである。だから大学で日本史を学ぼうとするのだ。

現代社会は今、様々に問題を抱えている。その中にあるのが、過去の戦争での遺恨だとか、植民地問題、領土問題、民族問題。ナショナリズムに大きく問題がのしかかっている。そんな中で、他国と議論する機会があるならどうだろう。自国の歴史や過程が欠落している人間は、只々無根拠に主張するか、相手の意見にひたすら追従するだけ、どのみち軟弱な姿勢しか取れないのではなかろうか?こういう日本人は、余りに恥ずかしくないであろうか?

さて、そういうことを気にしていると、こういう記事を見つけた。

www.sankei.com

様々な意見があろうが、僕はこれに仄かに期待している。日本の姿、先程から述べている姿勢を身に着けるためには、せめて近現代くらいは学んでおいた方がよかろう。日本が開国し、列強の仲間入りを果たすが、やがて煉獄の戦争に足を踏み入れ、果てる。そこからの復興…。世界と切り離せない国になる過程を描いた時代なのだ。

日本史。それは何のために学ぶものか。僕は、「日本人たるために」学んでいる。先人が命を懸けて下した決断を学び、良きところは取り入れ、失敗は繰り返さず。結局、歴史というのは「過去を学ぶこと」に本質はなく、「過去を学び、そこからよい未来を作っていくこと、過去の過ちから現在をよりよく構築すること」それこそが、結局は歴史学の本質なのではないか。僕はずっとそう信じ続けている。

今からでも遅くない。日本の、我が国の歴史に興味を持ってほしい。そうすれば、なんとなくでもこの国の姿や魅力が、分かってくるはずだから…。

コラム #2 「現実主義者?は毒舌でありたい」

たまに言われることとして、「君はかなりの現実主義者だね」というのがある。それまでこの言葉を意識したことはあんまりなかっただけに、なるほどなるほどと思った。

「いいじゃん!くよくよしないで行こうぜ!」マイルドに言えばそうなる。だが、如何せん僕はどうも口が悪いのだ。実際には、「グチグチ文句言えるなんて、余裕のある人生でうらやましいわ!」「自ら非生産的なことして、何したいの!?」っていう、随分辛辣な言葉しか出ないのが残念である。

「辛辣」といえば、自分自身、辛辣な考えだなあ、うわー残酷!と言われてしまったエピソードがある。実は、僕はスポ根ものが大変嫌いであり、夏によくある、甲子園のドキュメンタリーはまず見ない。大体において日本人は、勝っても負けてもなくではないか。あれに妙な悪寒を覚えるのだ。勝つのはまだしも、負けて泣く人間の気が知れぬのだ。自分の実力不足で負けておいて…。と思ってしまう質なのだが、これを言った時、あんたにゃ人の心ってのがないんだねえと言われてしまった。そうだよなあ…。

「近所の遊園地でできることを、なぜわざわざ千葉やら大阪やらの馬鹿でかい遊園地で散々待たされた挙句くたびれてまで遊ばねばならんのか」と平気で口走る人間でもある。こういう人間もそうはおるまい。

さて、ここまでケタクソに言っておいて、その後悶々と悩む自分がいる。別にそういう辛口をウリにしたいというわけでもないし、かといって考えを変えていくこともない。そこで思ったのが「毒舌」というありかただった。

意味が違うのか、と思われるかもしれないが、TBSの名物ラジオDJであった小沢昭一は「えぐったあとに笑いがくるのが毒舌。えぐるだけじゃあ駄目」と発言している。まさにその通りなのだ。僕のその「現実主義的」らしい考えは、しゃべることによって随分後味を悪くしている。なんだったら、そのあとに笑ってもらえるような、毒の利いたことが言いたいものだ。まさしく、毒蝮三太夫トークとか、プレバトの夏井いつき先生の指導とか、あれが体現できている。元を言えば川柳文学も、日本人の「タフな心」「硬質な心」を笑いに変えている文学じゃないか。ああいうのを目指したい。

現実主義者と毒舌。それは両立できるのか。毒舌だったらウリにもできると思うのだが…。「辛辣人生相談」よりも「毒舌人生相談」のほうがいいと思っている。結構難しいだろうけどねえ…。話のプロってさすがだね。

コラム #1 「緊張と現実味」

さて、いつもTwitterのほうで物を述べている人間が、それでは飽き足らず長文物書きになろうとしている。まあ、こういう人間です。よかったら、流す程度でお読みくださいな。

では本題に移ろう。このコラムを書いているときは、ちょうど私大入試の直前期。というわけでこれは息抜き程度のコラムであるのだが、それに関してここ最近思うことは、「ああ、なんか緊張してきた、俺受かるかな、大丈夫かな」という一種の焦燥感である。

そんなもの誰だって持つじゃないかという意見もあろうし、その程度で固まるとは情けなやと思う方もいよう。今回の本題はそこではない。「緊張感」である。

実は、この大学受験の時期に、緊張した!と思うのは、今になってが初めてである。センター試験の時は、緊張もあったが、半ば夢想状態、混乱、と、何も現実味がなかった。「うっわ、ついにこの日が気付いたら来てたじゃん!」という感じである、

このこれは、自分がセンター対策をおろそかにしていたという意味ではない。準備は人一倍行った。だからこそ、というべきか。そもそも全国50万人近くの受験する大テストが、この身の最初に降りかかるわけである。そして、この大規模な試験は、思えば3年に上がる前から、「あと何百何十日」と予告されていたわけではないか。

これだけずっと予告されていたからこそ、余計に現実味がなかったというのもある。何といっても、あれが初めてだったから。

あれだけ前からカウントダウンされると、時の流れも変わっていく。大体200日前だって言われても全く感じない。残り100日と言われた瞬間、体に電撃を打たれるように焦燥感が生まれ、90,80,70…30日を切ったあたりから、もはや焦燥感と現実味のなさと緊張感と、もはや何が何だか、カオスな心理状態の中、本番へ特攻するわけである。

さて、僕はこのような心理状態の中、端的に言ってセンターはずっこけた。だが、今は適度な緊張感をもって、私大入試に突き進もうとしている、本番まであと6日、短いようで長いよう、長いようで短いような、そんな期間に全力を注いでいきたいと思う今日この頃だ。今更、何も迷うことはないし、迷っている時間もないのである。